僕と君の間にあるもので世界をかえることについて

アニメ『輪るピングドラム』を巡る考察的な何か(突貫工事のち10年放置)

輪るペンギンと苹果と宇宙。

アニメ版『銀河鉄道の夜』のDVD、チャプター16「リンゴ」に、鳥とリンゴの繋がりを示すシーンがある。
銀河鉄道の旅の途中、沈没船からの乗客の家庭教師・少女・その弟と、ジョバンニたちは苹果を分け合う。その後窓の外にカササギの群れを見る。
天の川に隔てられてしまった織姫と彦星のために年に1度だけ橋を作ってくれる鳥がカササギあっちとこっちを繋ぐ、白黒の鳥

そして銀河鉄道はリンゴの森を通りかかる。
その森では、辿り着いたカササギが、クルリと反転して赤いリンゴになるのだ

  

森に輝くたくさんの苹果の風景は、次の章「新世界交響楽」をこえたところにある「さそりの火」のシーンへとイメージが重ねられていく。アニメ『銀河鉄道の夜』のイマジネーションの世界では、リンゴは鳥と繋がり、「さそりの火」とも繋がっている。
輪るピングドラム』ではカササギが同じ黒×白のペンギンに変換されている。だからピングドラム=ペンギン-ドラムで、あっちとこっちを繋ぐ苹果で、愛による死を自ら選択した者へのご褒美でもあった。そして、だから姉の意志を受け継ぐ荻野目「苹果」は燃えていたのだ、多分。

  ペンギンと苹果

  

そもそも、カササギはどこから来たの、何なの?

銀河鉄道の夜』では説明されてなくて、様々な説がありすぎて面倒なので横に置いといて。(※)
とりあえず幾原監督の考えを推測してみる。『輪るピングドラム』の最終話からすると、晶馬と冠葉は「愛による死」によってペンギン達と共に夜空を行進していく存在になったわけで、世界から失われた存在の痕跡=ペンギンのように思える。
監督は『きっと「命」のようなものじゃないかな。いや、兄弟妹たちの命が姿を変えて存在している、って意味じゃないよ。もっと……何ていうか、生命の熱、輝き、みたいな。兄弟妹たちからはみ出した「生命の輪郭」みたいなものが形になって見えているように感じるんだ。』とインタビューに答えてる。監督は、銀河鉄道の夜カササギや苹果もそう解釈したんじゃないのかな、と。

  ペンギン=世界から失われた存在?

世界から失われた子供たちはどこへ行くのか?
『いとしくおもふものが/そのまゝどこへ行ってしまったかわからないことから/ほんたうのさいはいはひとびとにくる』(トシを失った宮沢賢治が詠んだ『薤露青』の下書稿より。詩の中の言葉や制作時期からも『銀河鉄道の夜』の直接の原型になる詩とも言われています。)

そこで大西科学の『さよならペンギン』。輪るピングドラムのストーリーに関わる事が沢山かかれている小説(多分)

主人公である世界の観測者・南部のお供として「ペンギン型の謎の存在」が登場する。これは1500年を生きる南部の、世界のすべてがストックされている「新しい宇宙の卵」。世界から失われた子どもたちも、世界の闇も光もすべてが次の宇宙を生み出す力となるという。
(ちなみに南部は、ずっと探し求めていた「同類者」と出会うが、それぞれの宇宙の生存競争のために戦う運命にある。しかも相手はヤミを操りカエル色のコートを着た人物…このあたりは『かえるくん、東京を救う』のかえるくんとみみずくん、眞悧と桃果や帽子様へ繋げて読むと面白い。多分。あと南部と先生/眞悧と鷲塚先生を対応させて読むのも面白い。)

  ペンギンと宇宙

  

もともと宮澤賢治は、クラインの壺状の苹果のかたちをした宇宙で、銀河鉄道メビウスの軌道を走ってるという世界観を持っていた。詳細はこちら

  宇宙と苹果

そしてメビウスの軌道はひっくりカエル。
あっちとこっちは生と死で、そこを巡る「何か」がピングドラムなのでは。

輪るペンギンと苹果と宇宙のお話。

最終回を視聴したあと、どういう印象を視聴者に残せばいいのか。それを考えたとき、「銀河鉄道の夜」に戻るべきだと思ったの。カムパネルラはお母さんの幸せを願い、自分が思ういちばんのことをした結果、お母さんのもとへ行くことになった。ジョバンニが受け取ったその衝撃。それによってカムパネルラは、ジョバンニも救った。ジョバンニはそれで自分は生きて、お母さんのところに牛乳を届けに戻らなくてはならないと思う。この生きていることの実感を最後に残したかった。結局、死者と生者を分ける境があるとして、死んでしまったことにどんな意味があるのかって考えると、死んだことの意味っていうのは残された人が考えるしかないんですよ。死んだ人はもう語らないから。残された人たちは、死んだ人の生きた意味を考えて、それを通じて自分が生きていることの奇跡を実感するんです。
幾原邦彦 ニュータイプ 2012年3月号)

(※)銀河鉄道の夜における「鳥」は命や魂、そういった象徴ではないかと。賢治が知っていたかどうかはわかりませんが、北欧では天の川を「鳥の道」と呼び、亡くなった人の魂が鳥となってそこを渡っているという伝説もあります。