僕と君の間にあるもので世界をかえることについて

アニメ『輪るピングドラム』を巡る考察的な何か(突貫工事のち10年放置)

世界の終わりと林檎の話。

イクニ監督が大好きな演劇家であり作家・寺山修二の『ポケットに名言を』には、世界の終わりと林檎についての一文が紹介されています。

 もし世界の終りが明日だとしても 私は今日林檎の種子をまくだろう

寺山は言葉をすこしずつ変えて、何度もこの文を作品に引用しています。
寺山の他にも多くの著名人が世界の終わりと林檎についての名言を好んで使いますが、おそらく日本での大元は「小説家の」ゲオルギウの作品の邦訳からと思われます。

オルグ・ゲオルギウ(代表作『25時』)の『第二のチャンス』という小説の最後のシーンで(宗教家のマルティン・ルターの言葉だとして)登場人物が呟くのです。

 どんな時でも人間のなさねばならないことは、
 たとえ世界の終末が明日であっても、
 自分は今日リンゴの木を植える

 ※唯一の邦訳は誤植で「明日」が「明白」になっています…

この本には、二分された世界の戦いに翻弄される人間が描かれます。繰り返される希望と絶望。理不尽に殺されていく人々。
戦禍を生き延びた人ですら戦後生まれた「一つの世界」という存在に殺されてしまうというラストシーン。
救いのない物語の最後、殺される直前に語られるのが「世界の終わりと林檎」です。

しかも、この作品の途中には凄惨な植林の話が出てきます。捕虜を埋めた土地に植えた木に実る果実は、とても美味しくなる…強制労働で死んだ捕虜の遺体の有効活用法として、それが提案されるのです。


果実が成るには、芽から木に成長して花をつけて…それに必要な養分は土の中にある多くの「死」です。そして、木を植えた人間は実を食べることが出来ないかもしれない。「それでも林檎を植えることが、君には出来るか?」
寺山の引用は、そこまで含めてのものだったのではないでしょうか。

『第二のチャンス』読後は、この『名言』が私の中でがらりとイメージが変わってしまいました。『25時』も、オーウェルの『1984』と並ぶすばらしい本だと思いますので、チャンスがあればぜひ読んでみてください。運がよければ図書館、古書店で出会えるかな。

(なお実際にルターの言葉であるかは不明のようです)

 
余談ですが。
ゲオルギウの他の作品を探している中で『青い鳥の虐殺』というフランスの古いSF短篇集を見つけました。その中の『アリアドネの糸』の著者がゲオルギウだったんです。これは?!と確認してみましたが…「『25時』の作者ではない」と解説にわざわざご丁寧にかかれておりました。ただ、内容的には、例えば「かえるくんとみみずくん」の立場が逆転するような話になってて、ちょっと気になります。