僕と君の間にあるもので世界をかえることについて

アニメ『輪るピングドラム』を巡る考察的な何か

Ⅰ 黄金の苹果

結局、ピングドラムとは一体何なのか。
それを考える前にまず『銀河鉄道の夜』の苹果についてお話します。


銀河鉄道の夜』でジョバンニたちが<苹果>を手にするのは、沈没船の悲劇を聞いた直後です。同じく話を聞いていた燈台守から、沈没船の3人とジョバンにたちに配られたもの。
この苹果、実は初期形第ニ稿までは少女がいつの間にか抱えていたものでした。この時沈没船からきたのは家庭教師と3人姉妹、その弟の計5人。彼らは「金色と紅でうつくしくいろどられた苹果」を食べます。ジョバンニとカムパネルラの分はありません。この第二稿では「愛による犠牲のための死」への、彼らの信じる神さまからのご褒美としての苹果です。

しかし賢治は第三稿からこの部分を変更します。ご褒美として沈没船の3人は食べますが、ジョバンニたちはポケットにしまいこみます。
なぜか。私は、分け合うことの大切さを伝えるためだったのではないかと考えます。彼らの行いの記憶、そして悲しみを共有することを描きたかったのだと。アニメ映画『銀河鉄道の夜』では、たった1つの苹果をみんなで分け合っていました。何度分けても1つの丸い苹果です。

輪るペンギンと苹果と宇宙。 - 僕と君の間にあるもので世界をかえることについて

そして賢治は「蠍の火」の挿話で更にその大切さを訴えます。少女の語る物語は、元々彼女が父親から聞いた話でした。赤く光る星、蠍の火もまた<苹果>です
「蠍の火」を分け合った後、彼女は十字架の神さまの元へ行くため下車しなくてはならなくなりました。ジョバンニは悲しくて引きとめようとし、その時彼らは「ほんとうの神さま」について言い合うことになります。(自分の考える「ほんとう」は本当に「ほんとう」なのか、という問題です)

「天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこをこさえなきゃいけないって僕の先生が言ったよ。」
「だっておっ母さんも行ってらっしゃるしそれに神さまが仰っしゃるんだわ。」
「そんな神さまうその神さまだい。」
「あなたの神さまうその神さまよ。」
「そうじゃないよ。」
「あなたの神さまってどんな神さまですか。」青年は笑いながら言いました。
「ぼくほんとうはよく知りません、けれどもそんなんでなしにほんとうのたった一人の神さまです。」
「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です。」
「ああ、そんなんでなしにたったひとりのほんとうのほんとうの神さまです。」

車内には、ジョバンニとカムパネルラだけが残されます。

「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんて百ぺん焼いてもかまわない。」

カムパネルラは同意しながらも涙を浮かべます。
窓の外に<そらの孔>が見えてきました。

「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んでいこう。」

カムパネルラは窓の外に美しい野原が見えるといいます。ジョバンニには何も見えません。
(ここで「もう同じものを見ることが出来ない」という断絶が起きます。これは眞悧と桃果の間の隔たりであり、また高倉3兄妹と荻野目苹果の間に予め用意されていた「別れの予感」です。)
そして振り向くと、ずっと一緒にと誓い合った親友は消えていました。
ジョバンニは一人<そらの孔>を越えて、彼の生きるべき世界へ戻ります。
ポケットには苹果、胸には赤い蠍の火を灯して。

みんながめいめいじぶんの神さまがほんとうの神さまだというだろう、
けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。
それから僕たちの心が良いとか悪いとか議論するだろう。
そして勝負がつかないだろう。
(銀河鉄道の夜<初期形第三稿> 現代語訳)

最終形では消されてしまったブルカニロ博士の言葉です。

高倉家の長男となった冠葉は、嵐の中を陽毬を背負って病院へ向かった父から、迷っていたら大事なものを救えないと教えられます。倒れてくる鏡から陽毬を庇い大きな怪我を負った母から、彼女は身を挺して守る優しさを学びます。
両親は「反社会的組織の一員」であり、16年前のテロ起こした犯人です。彼らが信じる「ほんとうの幸い」のための行動でしたが、そのために高倉3兄妹は悲しい思いをします。しかし、このような大切なこと、彼らの言葉や行いの記憶に励まされて子どもたちは行動します。
運命の果実には、こういった苦みも含まれているのです。


ピングドラムの世界には沢山の林檎がでてきましたが、また別の形をした<苹果>がありました。運命の日に生まれた桃果の大切な妹、荻野目苹果。
彼女は、桃果の愛による死へのご褒美としてあの世界に投げ込まれた<運命の果実>そのものだったのではないかと思います。彼女は家族の問題に悩みながらも『デスティニー!』と拳をあげながらひたすら前へ突き進んでいきます。

私は、運命って言葉が好き だって運命の出会いって言うでしょ?
たった一つの出会いがその後の人生をすっかり変えてしまう
そんな特別な出会いは偶然じゃない… それはきっと運命
もちろん人生には幸せな出会いばかりじゃない 嫌な事、悲しいことだってたくさんある
自分ではどうしようもない そういう不幸を 
運命だって受け入れるのは、とてもつらいこと…
でも、私はこう思う 
悲しいこと、辛いことにも、きっと意味があるんだって!
無駄なことなんて一つもない だって、私は運命を信じているから

どんなことがあっても運命を信じている。
彼女の言う<運命>は、冠葉や晶馬が嫌った人を呪縛し翻弄するものではありません。陽毬や多蕗のように諦め絶望するものでもなく。それは私たち自らが、懸命に手を伸ばして掴み取るもの。彼女は帽子様の言う『イマージーン!』想像力の申し子なのです。

彼女のこの楽観的な意思の強さは、子どもたちの運命の歯車を全速力で回転させていきます。
彼女の前に立ちふさがった壁をよじ登り、見たくないものもしっかり見て、高倉3兄妹に寄り添います。生きることに退屈していた陽毬を奮い立たせ冠葉を救いに行かせ、煮え切らない晶馬を蹴り飛ばし、寄り添い、愛し、幸運を手に入れ、とうとう運命の列車のドアをこじ開けます。
彼らと同じもの――謎のペンギン――を見ることが出来ない苹果が、イマージーン!で<壁>を乗り越えたのです。