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僕と君の間にあるもので世界をかえることについて

アニメ『輪るピングドラム』を巡る考察的な何か

Ⅰ HOMEのかたち ―ディストピアとユートピア

輪るピングドラム』には様々な家庭が描かれますが、いわゆる一般的に理想だと思われる姿は一切出てきません。高倉家は一見理想的な家庭でしたが、両親は犯罪者であり、彼らを置き去りにして消えてしまいます。荻野目家では、死んだ桃果を巡る夫婦のすれ違いの中で、幼い苹果は傷つき自分を見失います。夏芽家、多蕗家、時籠家では、子どもは徹底して「保護者」の管理下に置かれます。
子ども達は愛に傷つき、愛を失い、愛を求めて奔走します。多蕗は言います。

僕らは予め失われた子供だった。
でもみんな、それは世界中のほとんどの子供が同じ。

生まれたての子どもの中はたいていからっぽなのです。誰かに愛を与えられなければ餓死してしまう、子どもとはそういう時代。(だからこそ、どんなに辛い状況でも彼らは親から離れようとしない。そういった関係への大人側の甘えが、子どもへの虐待を引き起こすのではないでしょうか。)


輪るピングドラム』の世界。愛を手に出来なかった子どもは「こどもブロイラー」に移されます。そこは彼らを救う場所ではなく処分するところでした。
家庭から放り出され、しかし外(社会)にも彼らに愛を与える場所はない。時々晶馬や桃果のように助けに来てくれる人もいるようですが、多くは誰からも救い出されず、ベルトコンベアーで運ばれて砕かれ、透明な存在になっていきます。

(23〜24話、幼い頃の冠葉と晶馬は小さな檻の中にいます。これは一般的な社会の中の家庭というコミュニティではなく、ピングフォースという反社会的組織内で起きたことだったからではないでしょうか。彼らは他に行き場もなく、自分だけの箱が最期の場所だったのです。)

ペンギンで埋め尽くされたあの世界では、このように家庭と社会がディストピアとして描かれています。(ディストピアはギリシャ語で阻害された場所。極端な管理社会、人権を抑圧する社会、簡単に言うと自由のない場所のことです。)
そこから逃れた子ども達が自らの小さな手で必死に作り出したユートピア(現実には決して存在しない理想的な社会)、それがミカちゃんハウスの高倉家、深海に沈む竜宮城のような苹果の私室、多蕗とゆりの偽の家族なのです。


輪るピングドラムで描かれている<こども>は、力を持たない存在のメタファー…理不尽な社会の仕組み、時代、旧世代の価値観…そういったものに磨り潰されそうになっている<若者>を喩えています。多分。


そして、透明の存在となった子どもたちの冷たい破片は降り積もって、
氷の世界>――南極、ピングフォースの領域となります。
 
 
 

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