僕と君の間にあるもので世界をかえることについて

アニメ『輪るピングドラム』を巡る考察的な何か

ペンギンパレードへようこそ

@Penguin_Paradeに垂れ流した考察未満な何か置き場。そのうちリサイクルしたい。

物語、というのはモノを語るってことで、それって者を語るってことで。だから語るのはいいと思うし、生懸命語ろうとする人のことはたとえ意見が違っても、その人自体を信用してる

運命の至る場所はただの切り替えポイント。あるいは乗り換え駅。
命⇔蠍の火は、不易流行でいえば、流行⇔不易。巡るもの⇔永遠のもの。
氷や雪は同じ水。世界を巡るもの。火はそれを循環させるエネルギー。愛だよ!

あの世界では、黒い衣装をまとったプリンセス・オブ・クリスタルVS白いコートのサネトシがゲームをしています。生存競争、陣取り合戦です。(桃果はあの世界で行われている遊戯がチェスだと思っている駒であり、オセロに関しては勝つことも負けることもなく、ただの石の一つでしかありません。)

真砂子父とマリオは「同じもの」の裏表。真砂子を「縛る」存在なのは一緒。じゃあ何が違うのか?間にあるもの。愛だよ!

宮沢賢治作品が胡散臭い、なんとなく苦手という方は

  • 彼は熱心な法華宗信者だった→作品は宗教小説
  • 輪廻転生を信じた→生は一回限りではないと考えていた
  • 生きることが贖罪→生きることに罪悪感を抱えていた
  • (信仰による)焼身自殺願望があった→自己犠牲的な死が彼の理想

これを頭に入れて読んでみるといいかもしれません。

ゆり父は彫刻家。しかも「石から理想の姿を削り出す」タイプの。つまり、娘をありのままではなく、自分の理想的な人間に削り出さないと愛せない人間だったというお話であって「性的虐待」と限定してしまうのはどうかなぁと思う。おそらく『ノケモノと花嫁』の晶午の「余計なものを切り捨てて、純度の高い世界へ」にも繋がっていく気がする。

そういえば『ノケモノと花嫁』の晶午も、晶馬と同じく晶+ウマ。一応あの作品の「燃えるキリン」の引用元だと思われるサルバドール・ダリには、透明な馬という作品があるらしい(らしい)のだけど。
ダリも、9ヶ月前に死んだ兄の生まれ変わりとして兄の名前を与えられ、家族との葛藤を抱えた人生を送った人物だったりする。「燃えるキリン」も女性や母性の恐ろしい力のようなものを表現したとかなんとか本人が言っていた気がする。気がする。

イクニ監督が輪るピングドラムへの考えを固めていく中で書かれたとおもわれる、とある日のブログの題名が「幸福とは幸福を探すことである」。これは寺山もどこかで引用していたはずだけど、ルナールの言葉。そしてルナールもまた、母親からの理不尽な扱いを受けていた人物。有名な「にんじん」は半分自伝のようなものだとか。

黒兎は月の兎から?
月に兎がいるのは、兎の自己犠牲的な善行を称えて神さまが空に掲げたというお話(今昔物語、と言うか仏教ベースの献身話)からで。その月の「裏側」の黒兎なのかなー
でも兎は本来1羽だし。月野うさぎちゃんつながりで考えたんだけどダメか・・・。

北極で絶滅した最初のペンギン「オオウミガラス」は忘れ去られ、南極の飛べない鳥だけを「ペンギン」だと(普通)私たちは思ってる。
見えないペンギンたちはオオウミガラスたちなのかもしれない。
北極に生きてる白クマの中では、白と黒の遺伝子が戦いを続けてる。(北極グマはヒグマと共通祖先から分岐。今も生殖的隔離はされておらずハイブリッドが確認されてる。また温暖化により北極グマの南下が進み、ヒグマとの生存競争が行われている最中です) この白と黒のクマがテディドラム?

陽毬ちゃんがアリスだとしたら、あの世界がチェスボードだとしたら。
鏡の国のアリス。『赤の女王仮説』、生存戦略。
宮沢賢治は彼の童話の世界イーハトーブを「アリスが辿った鏡の国と同じ世界の中にある」と宣言してる。鏡の国の宙に浮く汽車。世界の交錯。ジョバンニとアリスが兄妹的・従兄妹的な彷徨者である云々(by天沢さん)

陽毬の毬がただの丸い鞠じゃなくて棘がついた「イガ」だったのは、彼女は心を閉ざしていた果実だったから。白雪姫でいばら姫で人魚姫?だから何度も死んだの?その殻の中に冠葉はとうとう光を見つけた。お姫様と王子様のおとぎばなし。

前期OPを見て、なぜサネトシとクリスタル様が対応してるのか?
後期OPを見て、なぜKIGA林檎の上に座るのが彼と彼女だったのか?
根底にあるのがあの二人の「対」であってサネトシvs桃果ではない。
でもそうでもある。
それが戯曲『輪るピングドラム』の屋台崩しの合図(多分)

寓話の世界で言えば、サネトシと帽子様は立ち位置的に同じ

サネトシの中の人が誰なのか、HeではなくTheyであるとすれば見えてくるものがある。
サネトシはさみしがりやな王子様なの!リア充したいだけなの!
黒兎はそこにつけこむ災厄自体、あるいは絶望。

あの世界で行われていたのはオセロゲーム。勇者様のチェスでは勝てない。

冠葉からの更なる贈与で、陽毬はまた溜め込む。その罪で死ぬ。
真砂子を思い出す冠葉、もう返せるものがない葛藤。
陽毬、冠葉をやさしく拒絶→冠葉追い詰められる
陽毬、全てを返して死ぬ→冠葉絶望(サネトシ思い通り過ぎて退屈)

苹果は晶馬の尻を叩きに使わされた『新しい勇者』(それがデスティニー)
古い勇者の桃果とは違う方法で戦わなければ、試練をクリアできない。
だから日記は燃えなくてはならなかった。サネトシ、燃やしてくれて超優しい(*'∀')=3

サネトシ医師の会話から<贈与>し始める陽毬
まずダブルHだったのは、サネトシ司書の本のせい
そしてサネトシ医師のおかげでマフラーは無事届く。サネトシ大活躍!シビレますぅ〜!

おとぎ話の呪いは、「めでたしめでたし」のための、お呪い(おまじない)

作品に何が描かれてるかより、どう自分の中のものとリンクさせてくのかが、私には大事。そうやって自分という物語を練り直してくのが、大事。ぶっちゃけ作り手が本当は何を言いたいんだとか全然興味ない、エンデの『モモ』が貨幣経済における利子の話だなんて信じない!

自分が自分の物語を語らなくて、誰が語るというのだろう

そもそもピングドラムを持っている人がいないわけないんだよこの世界に。
だって、今、ここにいるじゃない。見出せるかどうかだよ。と思う。

銀鉄ベースなら運命の至る場所が1話なのは予測できたけど
驚いたのは晶馬まで舞台から降ろしたことだ。メッセージの強さ。

幻の25駅目はエヴァ新劇におけるS-DATの27曲目みたいなもの
そこにいるのは私たち?それとも劇場版?

『HHH』は歌詞がアニメを補完するようになってて、全曲カバーなのにキャラソンとしても完成してる。凄い。音楽もすばらしいけど、そういうところにシビレました。もちろんOPも旧EDも。歌詞カードを読み込む楽しさ!

私は『人生に無駄なことなんてないよ』と唱えて生きてきた人間です。
苹果ちゃんを見て反省したり、そうだそうだと拳を一緒に振り上げたり。
でもサネトシ先生も愛おしいと思います。萌え的な意味でなく。この長文ブログも、サネトシ救済EDを求めてのことでした。諦めたらそこで試合終了ですからね

サネトシ先生愛してる。萌え的な意味で。早くサネトシだらけの乙女ゲーを早く。