Ⅳ 運命の果実を一緒に食べよう
もうけつしてさびしくはない
なんべんさびしくないと云つたとこで
またさびしくなるのはきまつてゐる
けれどもここはこれでいいのだ
すべてさびしさと悲傷とを焚いて
ひとは透明な軌道をすすむ
(宮沢賢治『春と修羅』小岩井農場)
『運命の果実を、一緒に食べよう――!!』
呪文の代償によって世界から失われそうになる苹果を、晶馬はぎりぎりのところで救いました。「ありがとう、愛してる」蠍の火に焚かれながら、自分の大切な、そして大切な兄の大切な陽毬のもとへ、彼女を届けます。
だって<苹果>は「愛による死を自ら選択した者へのご褒美」なのですから。
陽毬と苹果は、新世界へ降り立ちました。
陽毬の額の傷と、苹果の手の火傷のあとは彼らの<痕跡>。
真砂子は微睡みの中で「兄」に出会い、陽毬はぬいぐるみの中から「兄」からのメモを見つけます。時空を越えて、この世界に存在しないはずの人からの<贈与/愛>を受けとります。
苹果も「彼ら」を思うときがあるのだろうか。それを祈る私たちの気持ち。
忘れないよ。
愛してる。
(彼女達が乗り換えた新世界の家に飾られていた『福島』)
忘れないで。
忘れないよ。
愛してる。
だいじょうぶ。
これは2011年を越えていく、君と僕のための物語。
「さあいいか。だからお前の実験はこの切れ切れの考えのはじめから終わりすべてにわたるようでなけれないけない。それが難しいことなのだ。けれどももちろんその時だけのでもいいのだ。ああごらん、あそこにプレシオスが見える。お前はあのプレシオスの鎖を解かなければならない。」
「ああマゼラン星雲だ。さあもうきっと僕は僕のために、僕のお母さんのために、カムパネルラのためにみんなのために本当の本当の幸福をさがすぞ。」
ジョバンニは唇を噛んでそのマゼランの星雲をのぞんで立ちました。
その一番幸福なそのひとのために!(銀河鉄道の夜<初期形第三稿> 現代語訳)
同じ世界の同じ時代に生まれ、出会い、手をつないで寄り添うことができる。
それもまたピングドラムの奇跡です。多蕗とゆりと、桃果。もう失われてしまった桃の味が忘れられず彷徨う二人は、桃果によって世界に落とされた<苹果>に出会うことで<アダムとイヴ>となりました。
「あたしは運命って言葉が好き。だって…」
運命の果実そのものである荻野目苹果の『幸福論』の続きが、新世界の池部陽毬によって語られます。
私は運命って言葉が好き。
信じてるよ。
いつだって、一人なんかじゃない。
カムパネルラもジョバンニも退場したこの世界で、物語の続きを任されたのは私たち。
悲しいこと、辛いことがあったら思い出して。たった独りではないことを。
私たちは誰もが、<運命の果実>を与えられ生まれてきたことを。
「だからさ、苹果は宇宙そのものなんだよ。
手のひらに乗る宇宙。この世界とあっちの世界を繋ぐものだよ」
「あっちの世界?」
「カムパネルラや、他の乗客が向かってる世界だよ」
「それと苹果になんの関係があるんだ?」
「つまり、苹果は愛による死を自ら選択した者へのご褒美でもあるんだよ」
「でも、死んだら全部おしまいじゃん」
「おしまいじゃないよ! むしろ、そこから始まるって賢治は言いたいんだ」
「わかんねぇよ」
「愛の話なんだよ。なんで分かんないのかなぁ」