僕と君の間にあるもので世界をかえることについて

アニメ『輪るピングドラム』を巡る考察的な何か(突貫工事のち10年放置)

Opening or Ending

「だからさ、苹果は宇宙そのものなんだよ。
 手のひらに乗る宇宙。この世界とあっちの世界を繋ぐものだよ」
「あっちの世界?」
「カムパネルラや、他の乗客が向かってる世界だよ」
「それと苹果になんの関係があるんだ?」
「つまり、苹果は愛による死を自ら選択した者へのご褒美でもあるんだよ」
「でも、死んだら全部おしまいじゃん」
「おしまいじゃないよ! むしろ、そこから始まるって賢治は言いたいんだ」
「わかんねぇよ」
「愛の話なんだよ。なんで分かんないのかなぁ」

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は、1923年の関東大震災の翌年から書き始められた物語です。

10年後、昭和三陸地震津波が起きます。その半年後に亡くなった彼が、枕元に置き書き続けていたものが、この未完の小説・・・

3.11の後、私は久々にこの本を手に取り思いをめぐらせていました。
考えていたのは主に<ザネリのその後について>
ジョバンニはいいよ、カムパネルラと旅が出来たんだもの。でもザネリは?

銀河鉄道を追いかけて、でも間に合わなかった彼は、その後カムパネルラの命という重すぎる<贈り物>と、どう向き合ったんだろう?


東日本大震災後を生きる私たちは、みんながザネリでありジョバンニです。
そしてあの悲劇でこの世界を去っていった方々は、カムパネルラであり、沈没船からの乗客たち……一緒に銀河を旅をしてきた人々。

子供の頃から読む度に切なくて泣いていたこの話を、希望へ向かう話として読んでみようと思いました。

そして偶然始まったアニメがその物語を下敷きにした『輪るピングドラム』。

・分け合うこと
・信じること
・忘れないこと
・そして、それらに怯えたりしないこと

これらを軸に、アニメを見ながら考えたことをここに書きとめておきます。

これは私が見た『輪るピングドラム』であり、あなたが見たそれと同じとは限りません。

もし世界の終りが明日だとしても
私は今日林檎の種子をまくだろう。

寺山修司『ポケットに名言を』(ゲオルグ・ゲオルギウの言葉より)